東京建物が手掛けるプロジェクト、
Hareza池袋担当の若林、
アートワークを制作した野老様、寺田様、
それらの作品監修を行った公益財団法人彫刻の
森芸術文化財団の坂本様、
Brillia Art Award担当の大久保の5人での対談。
東京建物Brillia×アートが
きっかけとなった横のつながりを、
お互いの可能性の広がりのために
お話を伺うことにしました。
大久保 若手アーティストの作品発表の場「Brillia Art Award」、八重洲ビル1階・Brilliaラウンジでの作品展示と、私たちは4年ほど前から「建物」と「アート」に関するさまざまな挑戦を行ってまいりました。こうした活動を見ると、私たちがアートへの造詣が深いかのように感じられるかもしれませんが、率直に申し上げれば、全員がアートに興味、関心を寄せているとは正直、言い切れない。この活動について社内的に盛り上がりを見せているかという点も、まだまだと言わざるを得ません。
若林 私たち都市開発部門も、これまでアートを取り入れた開発はいくつか行ってまいりましたが、今回の豊島区のように“国際アート・カルチャー都市構想”を掲げる都市のシンボルとなる開発は初めてであり、さらに、名だたるアーティストの方のお力をお借りし、この“場”に見合うオリジナル作品を作っていただくのも初めての試みです。今回の開発は、建物とアートの融合について考える良い機会となりました。ハード・ソフトの両面で繋がり、この場を訪れた人、作品と触れ合った人の記憶に何かを残して、それを起点に「東京建物」や「Brillia」というブランドがより多くの方に認知してもらえたら、それは実に嬉しいことです。
大久保 私は10年ほど前に、設計者のご提案でアートを取り入れたマンションを担当したことがありました。その時も、どこかで買い付けてきた“出来合い”のアートではなく、マンションのためのオリジナルアートを作家さんに作っていただいたんです。竣工式の日、その方が参列した皆さんにこんなことを言いました。「芸術は、特別なものではない。日常とともにある」と。それがとても印象的でね。今も時々私はそのマンションに足を運びますが、実際に作品のまわりで子供たちが遊んでいたりして「生活に溶け込むアート」を目の当たりにしました。その光景は、とても豊かなんです。一般的にアートは高尚なもの、難しいものと捉えられがちですが、でも本当は違うと、あの時に教えられました。日本における「建物」と「アート」の関係性はまだファーストステップ。私たちデベロッパーはこれからの住まいや生活空間、そしてアートとの関係性をもっと深く意識し、互いをどう活かしていくのか考える時期に来ているのだと思います。
坂本 池袋はもともとトキワ荘や池袋モンパルナスなどから多くのアーティストを輩出し、たくさんの文化が生まれた場所。このエリアの開発にあたり、いかにアートとの融合を図るべきか、私もHareza池袋のご提案をサポートさせていただきました。でも実は、今回のアートプロジェクトの始まりはもう少し前に遡るんです。
若林 そうですね、2016年の3月でしたか。
坂本 ええ。皆さんもご存じの通り、豊島区には区立の美術館がありません。そこで老朽化によって取り壊される区役所と公会堂の跡地に「2日間だけの“としまミュージアム”という美術館を作ってはどうか?」とご提案させていただいたのが始まりなんです。街の皆さんに建物の“記憶”を残してもらいたいーーそんな発想から2016年3月、現代アートや音楽、パフォーマンス、落語など、さまざまなカルチャーを集めた美術館を出現させました。また、Hareza池袋が完成してからは、豊島区の“国際アート・カルチャー都市構想”を元に、寺田さん、野老さんをはじめとするアーティストの皆さんに、豊島区の環境、自然、「今、この瞬間のレガシーをどう残していくべきか」をテーマに作品を制作していただきました。
ですから、ここにあるアートはすべて豊島区の歴史性、地域性、時間軸を表現したものばかりなんです。記憶に残すツールとしてアートを活用しつつ、さらに池袋の「現在・過去・未来」を感じられる場所へ。Hareza池袋は建物の内も外も素晴らしいアートに溢れています。
大久保 坂本さんが寺田さん、野老さんへの作品を依頼されたのは、どういう経緯からだったんですか?
坂本 アートの面白さは“隙間”をうまく作品化できることです。まずはこの点をきちんと見極めていただけるアーティストさんに依頼したいと考えました。また、土や金属、革など、素材として人が触れるものを活かすことにもこだわっていただきたかった。これらを踏まえ、経験豊富で発想豊かな皆さんにお声をかけさせていただいたという感じでしょうか。Hareza池袋の展示については、事前に拝見した図面やパースとも照らし合わせながら、「こんな作品を置いたらどんな世界が広がるだろう」「デザインとアートの境界線が新しい空間を生み出すのではないか」など、私自身もいろいろと思考しました。
若林 坂本さんから依頼を受けた時、寺田さん、野老さんはどんなことをお感じになられましたか?
寺田 まずはじめに、僕の肩書きは「アーティスト」ではないんです。建築を中心にプロダクトデザイン、建物にかかわるサイングラフィックなども作るのが僕の仕事です。その中の一つ「テラダモケイ」というブランドに坂本さんから今回のご依頼をいただいたのですが、手がけてきた模型に「アート」という可能性を見出してくださったこと、実際の空間の中で模型を展開できることがとても嬉しかったですね。自分自身では「テラダモケイがアートになる」という意識はありませんでしたが、見る人によってはこれもアートになるのだと改めて感じました。
野老 僕はもう小躍りというか、万歳というか。ありがとうございます(笑)。パブリックアートってこれから数が減っていくのかなぁ、わからないけれど。自分の経験ではなんかすごく少ない印象なんですよね。そんなパブリックアートを自分が作るなんて、本当に嬉しかったです。作品がこの世に存在する“耐久時間”みたいなことを考えると、僕は「できるだけ長く残せるものを作りたいな」と思いました。
坂本さんのお話にもありましたが、テーマは「時間軸」でしたから。時間をいかに長く保たせるか、2020年に生まれた作品を未来にどう残せるのか。そんなことを考える貴重な機会をいただけて、ホント「やったー!」って感じで(笑)。でも「ただのパブリックアートではなく、機能を持たせたい」というお話もあったので、それは初めての体験で…、喜びと同時にとても難しいお題をいただいたなという印象もありました。
坂本 野老さんには最初に「座るものを」とお願いをしました。
野老 そう。例えばレリーフだと、割とできてしまえば安心なんですが、こういう“機能”のある作品となると「磨耗していく姿が美しいか」とか考えれば考えるほど奥が深くて。それでね、寺田さんに相談したんです。「100年保つものって何か?」と。作品づくりで相談なんて初めてでしたけど、僕にとって寺田さんは建築家でもあるし、デザイナーでもあるけれど、やっぱりアーティストで、先輩で、ものの考え方とかを学べますし。それで話をしているうちに「時間の経過の中でも保つものを作ろうじゃないか」となったんですよね。
寺田 そうですね。ぼくはインターオフィスという会社で家具の製造販売もやっていますから。
野老 おかげで、この「100年保つ椅子」が作れたんですよ!
坂本 企画の段階で、皆さんにはいろいろなご提案をさせていただきました。テラダモケイのグッズは本来100分の1サイズと、ものすごく小さいものなのですが、それを10分の1にまで拡大して、グラフィックで「池袋」を表現していただきました。この作品では自分が模型の世界に迷い込んだかのような感覚を味わっていただけると思います。
寺田 坂本さんから「池袋の街、文化を表現する特別なオリジナル作品を作ってほしい」と依頼があって。僕にとって池袋は西武美術館に展覧会を観に来た思い出など、懐かしい記憶がたくさんあります。その記憶を模型の世界でいかに表現するか悩みました。テラダモケイでは普段から「どういうアイテムをパーツ化していくか」がポイントになっているんですが、今回は池袋を代表するようなもの、例えば街行く人々や待ち合わせ場所にもなっているフクロウなど、池袋を知る人が見れば一目で分かるものをパーツに選ぼうと思いました。池袋にあるからこそ意味があるグラフィックができたと思います。
野老 僕の場合は、椅子単体でも成立するものをと思って作りました。僕は昔このあたりの高校に通っていて、それこそ前の公会堂とか、街のニオイまで今でも覚えているくらいなんです。だからその“文脈”を引っ張り出すというよりは、この作品が椅子としても、オブジェとしても長く保ち、愛されるものであるようにと思ったんです。寺田さんもおっしゃっていたように、僕も池袋にはたくさんの思い出があります。西武美術館もそうだし、グラフィックデザイナーの田中一光さんの作品と出会ったこととか、人生をガラッと変えてくれるような一冊の本と出会った書店があったこととか。でもそれって僕がいた数十年前の池袋の記憶。“国際アート・カルチャー都市”を目指している今の池袋で、現代の子供たちは新たな体験をしていくわけです。だから逆に、僕は僕の知っている池袋から離れようとしていた、そんな気がします。
寺田 野老さんは「時間を形にしよう」「2020年という今を表現しよう」としていたからですよね。
野老 そう。だからこの椅子は寺田さんの発案でイタリアで製作したんですが、向こうには100年続く会社とかがたくさんあるじゃないですか。それも時間を形にするためにどうしても必要だった。イタリアでこそ作る意味があるなと思ったんです。
寺田 日本には100年以上の歴史がある革を扱う家具屋さんはないんです。だからイタリアまで行って作ることになりました。100年保つことがこれによって担保されたわけです。でも、レザーは100年新品のままではいられない。使い込まれれば使い込まれるほど、メンテナンスをして愛情をかければかけるほど、いい状態で年をとっていく。そういう意味での100年。100年後、時間を経ただけの美しさ、時代の厚みを表現できるのはレザーしかないと、野老さん、坂本さんともよく話し合いました。
坂本 椅子に関しては、野老さんがデザインで機能を生み出し、家具づくりでは寺田さんがいろいろと指南してくださって、本当にいいものができました。「時間」というテーマにこだわったからこその高価な一脚。イタリアで製作することの意味を東京建物さんが理解してくださったこともとても大きかったです。
野老 この椅子のタイトルは「RHOMBUS CONNECT SEATING」で、一つ一つひし形をしているんですが、組み合わせ方によってさまざまな姿に変化するんです。色についてもこだわりました。青がなぜ「ジャパンブルー」と呼ばれるのかというと、例えば富嶽三十六景とか、武道の道着とかね、青、藍染めの色って本当にレンジが広い、歴史のある色なんです。実は僕、今東京2020大会のサーフィン日本代表のユニフォームをデザインさせていただいているんですが、そこでも青を使っているんですよ。この椅子の素材も色も10年20年と時を重ねていったら、一体どんなふうに変化していくんだろうって、興味深い。変化する姿を見ていきたい。この椅子の角、どうなるのかなって考えただけで今からワクワクします。しかし、見れば見るほど見事ですよね、このパイピングも膨らみも…。
寺田 この丸みは、熟練の革職人でなければできない手仕事です。
坂本 デザインも色ももちろんそうですが、この椅子の魅力はまだあります。さまざまな組み合わせが楽しめることも、「繋がる」を表現し続ける野老さんだからこそ作り上げられたんじゃないでしょうか。
野老 日によって椅子の配置が変わっても、きっと面白いですよね! 12角形を目指すと数学的には40数通しかありませんが、バラけさせれば形は無限ですから! そんな楽しみ方ができるのも、きっとパブリックアートの良さなんでしょうね。
大久保 時間軸、100年保ち、受け継がれていくアート。とても興味深いお話です。ならば建物も、これからはその年月以上を目指していかねばならない。私たちが作り上げるものが、本当に100年保つものになるのかどうか。そこには多くの知恵と、我々一人ひとりの努力が必要不可欠でしょう。Brilliaのブランドコンセプトには「洗練」という言葉があります。これはどういう意味かと考えると、文字通り「洗い練られている」こと。つまり「よく考える」ことだと私は思います。我々デベロッパーは設計者の方に委ねるのではなく、こちらはこちらの役割の中でしっかり「洗い練る」ことを忘れてはいけないんです。アートはまさにそうした思考の積み重ねから生まれるものなのだと、今日のお話を伺って改めて感じました。
若林 私も今回の開発で、アートは建物やそのエリアの価値向上に必須だと感じました。建物は技術の発達に伴い、今回の事業期間の70年、場合によっては100年程度保つようになりました。Hareza池袋もきっと長い年月をかけて、たくさんの人に、たくさんの記憶を刻んでいくことになるでしょう。建物を作って、貸しておしまいという経済合理性優先の考え方は、もはや求められていません。建ててからの運営を意識することで、エリアの価値はもっと高められる。そして、この意識が私たちの開発する建物の価値自体をも上げていく。これからの街づくりには、こうした“サイクル”が必要なんだと感じています。