Brillia Art

Brillia x ART 対談レコード・ジャケットの思い出
ノスタルジーではなく、人生の豊かさを発見する

BAG-Brilia Art Gallery-では、
シリーズ企画「ART in MUSIC」の第3弾となる
「エッジ・オブ・ロックス 1978-1984」を
8月25日まで開催しています。
本展は、この7年間を
「洋楽ロックの変革期」と位置づけ、
ミュージシャン/音楽プロデューサーの
片寄明人氏がセレクトした
同時代の約300枚のレコード・ジャケットを
中心に展示。
「こうして並べて見たのは初めて」と言う片寄氏は、
自身も展示から新たな発見があったと
語ってくれました。

時代のアートワークを体感

12インチ四方の画面に時代の空気が詰まっていた

ミュージシャン/音楽プロデューサー
片寄 明人 様

―ロック・ミュージックにとって、なぜ1978年から84年は「変革期」に位置づけられるのですか?

1950年代に誕生したロック・ミュージックは、この80年代半ばまでの約30年間、ずっと進化を続けてきました。その流れに大きな衝撃を与えたのが70年代後半のパンクの登場です。展示ではその後の7年間に起きたロック・ミュージックの新たな進化を、レコード・ジャケットのアートによって再体験します。僕はパンクの登場により既成のロックは一度壊され、パンクを新たな起点としたさまざまなロック・ミュージックが誕生した「変革期」としての展示を考えました。この期間に共通するのは、ジャンルにとらわれない精神性です。それは「混沌」とも言えるし、「自由」と言ってもいい。今、私たちの周りに日々生まれる新しい音楽は、多彩で唯一無二のもので溢れていますが、その原点はこの変革期にあるのではないか。実は今回、ふり返って僕なりに感じたそうした問いかけもこの展示には込められています。

―展示の冒頭には、この7年間を代表する20枚のアルバムが掲げられています。言われる通りまさに多彩ですね。

現在のポップ・ミュージックの原点とも言えるものがすべて出そろっていますね。当時を知る人には懐かしく感じるだろうし、今のカルチャーの渦中にいる若い世代にも「つながり」を感じるキービジュアルが発見できる場所です。展示は年ごとに分けています。誰もが知る有名なジャケットもあれば、かなり詳しくないと思い出せないレアなものも混在させました。ミュージシャンのくくりではなく、「時」で並べて見るのは僕も初めてのことでしたが、展示した壁一面の前に立つと時代の共通点のようなものを感じました。ジャケットは、12インチのアルバムを収めた30cm四方のパッケージですが、同時に時代のアートやマインドを詰め込んだ表現の場です。ジャケットを並べることで、その時のミュージシャン自身、髪や服のファッション、デザイン、時代のすべてが見えてきます。

―ギャラリーでは、それぞれの「年」の前で長い時間立ち止まる人を何人も見ました。

僕はジャケットを選びながらタイムマシンを作っているような気持ちになりました。 誰もが戻りたかったあの年へ行ってくれたなら嬉しいと思いながらね。僕にとってそれは1982年です。14歳の僕が洋楽ロックを好きになった年だからはっきりと覚えています。それ以前は日本の歌謡曲と同時にポリスやABBAなどをなんとなく聴いていたけど、ある日突然、洋楽に夢中になったんです。そして洋楽の新譜は全部聴きたい、もう洋楽のことしか考えられない日々を過ごしていました。 以来、好きなアーティストのレコード・ジャケットを隅から隅まで本当に穴が空くまで見ては、同じような髪型にしてみたり、同じような服を探したり。とくにお気に入りだった1枚はザ・ジャムのベストアルバムでした。実はその写真を撮影されたのが、同時開催している写真展「MY FAVOURITE SHOT」の写真家、トシ矢嶋さんです。そうしたアーティストの作品に、当時、世界中の僕のような子どもたちが触れていた。レコード・ジャケットは、その時代のメディアでもあり、ファッションや流行などの現象を生み出す力をもったものだったのではないかな。

自由の中で生まれた美学

レコード・ジャケットは何でもありの場だった

―ギャラリーの一角に、レコード・ジャケットの制作に注目した展示もありますね。

実は、レコード・ジャケットにミュージシャン自身がどの程度関わっていたのかというのは、千差万別です。当時のエピソードを読むと、僕からすればミュージシャンの存在と一体だと思っていたジャケットデザインが、本人がまったく知らないうちにできあがっていた例というのがたくさんある。そうした「自由」な土壌があればこそ、デザイナーが作家性を規制されることなく実験的なことができた。だからこそ変革期のロック・ミュージックにさまざまなアートが関わって、人びとに影響力を持つ現象を生み出したのかもしれない。そうした視点から、今回は3つの切り口で入れ替え展示をしています。最初に紹介したグラフィック・デザイナーのピーター・サヴィルが手がけたジョイ・ディヴィジョンのデザインは今やアイコンとして世界中で知られています。ロックを知らない人まで、そのデザインのTシャツを着るほどです。でも彼の仕事を追ってみると、同時代にワム!のような音楽性の異なるミュージシャンのジャケットも担当していたのが興味深いんです。当時は僕も気づかなかったけれど、今並べて見ると、別のジャンルでありながら彼の美学のようなものが貫かれている。

―「日本製AORジャケットのグラフィック」という展示も。

これは1982年前後の日本での事例を紹介したものです。今では考えられませんが、当時、洋楽アルバムの日本版発売に関しては、日本側の裁量権にかなり高い自由度がありました。AORのオリジナル盤のデザインは、シンガーソングライターの系譜からきた素朴なものが多く、決して「オシャレ」を念頭に作られたものではありません。しかし、日本では当時流行していたシティポップのファン層に向けたアピールだったのか、リゾートムードあふれる写真に差し替えられたアルバムも多かったんです。またこうした日本独自の自由さの例として、アルバムに「帯」をつけることも取り上げました。作品の解説やミュージシャンの紹介など、中には「勘違い」としか思えないものも多い。でも、そうとは気づかないほど秀逸で熱いキャッチコピーの数々に、たぶん当時の僕もワクワクしたのかもしれない。日本ならではの「帯」もまた、時代の空気を添えていたジャケットアートのひとつとして楽しみながら再評価する試みです。

制限の中から生まれた自由

その体験が僕たちの人生をこれからも豊かにする

―1984年を区切りとしたのは?

1つは僕の個人的な見解でもあるのですが、1985年くらいからメジャーなシーンの水面下でオルタナティブロックの潮流が始まっていると思う。90年代の音楽シーンを作っていく人たちがどんどん出てくる時代の始まりです。「80's」と呼ばれるある種の輝きを持った時代の終わり。それは視点を変えると、それまでが、90年代以降の新たな時代に向けた助走期間だったのではないかという、僕なりの視点からの区切りです。もう1つは、アナログとデジタルの端境期という区切りがこの時期あるという視点です。CDの普及はもう少し後ですが、レコーディング現場でのデジタル化が、80年代後半に急速に進みます。今回、ギャラリー入口に同時代を感じる「物」をいくつか展示しました。その中に置いた「TEAC 244 マルチトラックレコーダー」は僕の私物です。カセットで4つのトラックに多重録音が可能な当時最先端のポータブル機材で、ブルース・スプリングスティーンはアルバム「ネブラスカ」(1982年)をこのひとつ前の型「144」を使い自宅の寝室で制作したそうです。これ以降、アマチュアがローファイなサウンドで音源を仕上げることも可能になりました。その後のデジタルに比べたらかなり制限された環境です。でも僕は、制限があればこそ表現のための創意工夫がなされ、新しいものが生まれると思っています。ロックの変革期とは、制限と自由の中で生まれたさまざまなアートが融合した時代。それがこの7年感に詰まっています。

―音楽とアートが一体化したロックの変革期。今回の展示から、暮らしとアートにはどのような可能性を感じますか?

僕にとって、音楽と、音楽を介して広がったアートは、日常に不可欠なもの。心の豊かさを再確認させてくれるものです。実は10代の僕は60年代のロックに憧れ過ぎて、自分がリアルに生きている80年代を「つまらない時代だな」と思っていました。しかし今、こうしてふり返れば、自分が生きたリアルタイムの80年代に素晴らしい音楽やカルチャーが生まれていたこと、そしてそれをすべて体験して今の自分が形成されたことがわかります。これはノスタルジーではなく、自分の何気ない日常を積み重ねた人生が、豊かであることの再確認です。14歳の僕の生きた時間、今日までの時間、そして今を生きる僕の力となるもの。僕らの世代にとって、こうしたアートがあったことの素晴らしさを知る機会であると同時に、デジタルと配信の世代の人にも、ここに来て洋楽ロックのアートをリアルな自身の体験にして欲しい。

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