絵画を立体化する、絵画がウインドーの中で一つの物体としてあり、イメージはそこをループしていくように連続して描かれていく。八重洲の真ん中に突如と現れる緑の立体。ビルの谷間にある植物たちの絵画(写真ではなく)が見る人たちにどんな印象を持たれるのでしょう。私としてはこの立体が浮いているようなちょっとしたトリックがあったらもっと効果的かなと、も思いました。その緑のキューブはどこにでも移動可能なような…
造花や人工の植栽に纏わり付く胡散臭さと作家がつくり出す自然には存在しない命の可能性の差は興味深い。植物への畏敬の念が唐草や松毬(ペイズリー)、佐藤直樹の作品を生んだ。コンセプト文の中にフェイクという文字が書かれていた。思い切り我儘に作家自身が統治する素敵なフェイクの世界を描いていって頂きたいと思った。
遠くから見ると、ビル内部に設置された、パトリック・ブランの「垂直庭園」のような壁面植物の一部が見えているように見えますが、何か空間的なズレが生じています。近づくと写実的に描かれた絵でできた箱であることに気づきます。映える美術作品を逆手に取った具象絵画の可能性を追求した作品でありますが、鑑賞者の投稿をハッシュタグで追えるようなSNSを巻き込んだ展開も見てみたいと思わせる作品です。
私は常々、都会を歩いていると足下にはかつて大地があり、豊かな自然があったのか。もしくは豊かな海が広がっていたのかと、思いを馳せることがある。同時に、自然がある場所から都会へと移動する景色を眺めながら、動植物によってつくられた環境と、人の営みによってscrap&buildで創られた都市のビル群は、ある意味同じ森の定義に当てはまるのでは感じてしまう。この作品が東京の真ん中で提言した対比について、道行く人達は足下に何を思うのか尋ねてみたいと思った。